Paul Weissich, A Hui Hou

ポール・ウェイシックさんの追悼記事をホームページ(プルメリアの図書館)で閲覧できるようになっています。

記事を書いたのは長年親交があったハイジさん(HEIDI:園芸家・ライター。黄色い丸みのあるプルメリアの品種名にもなっています)




ポールさんが、ハワイへ初めて2週間滞在した時に、ここで仕事を見つける事が出来たらハワイに引っ越す!と妻と家族に告げたそうです。そして1950年、29歳の若い造園家はハワイに移り住みました。

ハイジさんがポールさんと出会ったのは17歳の時。「とてもハンサムな人!」という印象だったようです。若い頃の写真からも何となく人柄の雰囲気が伝わってきますね。

ポールさんは造園家リチャード・トング氏の元で仕事をし、大きな椰子の木を大型クレーンを使って移植するという、現在では普通ですが、その頃ハワイではとても珍しかった現代的な造園方法を取り入れた植栽を行いました。

その後、長年ホノルル市の職員としてフォスター植物園で働いています。

ハワイに美しい楽園の景観とココクレーター植物園を作り、歴史を残しました。
A Hui Hou (また会う日まで)